2010.10
今更ですが、LGBTはマイノリティ(少数派)です。
社会的にまだまだ認められていないということは
たしかに、いろいろと不都合が多いですね。
けれど、社会的なシステムに組み込まれていないということは
ある意味、形式に捉われることがないので
その分、本質にたどり着きやすい、ということでもあるのです。
私はこのことを教えてもらったとき、
まさに目からウロコが落ちたような気分を味わいました。
これを教えてくれたのは、ゲイのパートナーシップについて考えてこられた大塚隆史さんという方です。
著作『二人で生きる技術』は、男性同士で生きて行くことに挑戦し続けてきた大塚さんの
半生を振り返るとともに、社会に守られることのない同性同士のカップルがふたりで生きて行く
ための「技術」、ためになるノウハウがぎっしり詰め込まれている本です。
ありがたいことに男性同士にとどまらず、「ひとがひとと関係を作る」ための、普遍的な内容になっています。
言うまでもなく、家族の基準は大人同士のパートナーシップにあります。
(もちろんふたり親でなくても家族ですが、ここではあえて「ふたりで」子育てをする
ケースについて話を進めます)
LGBTペアレントは、LGBTだということでなにかと不都合を感じる瞬間も、たしかにあるでしょう。
でも同時に、LGBTだからこそ、枠に捉われることなく
本質にたどり着ける、ということも、たしかにあるのだと思います。
私は、ヘテロセクシャル(異性愛者)として子どもを育てていた頃
世間で謳われる、素敵な家族のイメージが先行すればするほど、そこから逃れられなくなっていました。
いつしか社会的な役割ばかりに捉われて
家族の本質-愛する人と協力しながら、子どもを育てるということが、見えなくなっていたように感じます。
「嫁として」「母として」「妻として」・・・。
求められるイメージに振り回されて守るばかりになっていたのだと
おかしな話ですが、法的に家族だったころは気付けなかったのを、
法的に認められない家族になってからたびたび実感することになりました。
家族の基盤は「親同士のパートナーシップなのだ」という、超がつくほど
当り前のことも、腑に落ちたのはこの家族を作り始めたあとのことでした。
言葉にすればそれは簡単なことだけれど
簡単なことほど、「あえて」考えるなんてことは、なかなかしないものです。
けれど、LGBTファミリーは、生活自体が「あえて」の連続です。
だからこそ、漠然と「待ち」の姿勢でいることなく、
家族の意義やありがたみ、また自分たちのありようについて
考えるチャンスがあるのだと思うのです。
多くのLGBT家族たちは、「意識して」家族を作っているように感じます。
道がない、ということは、たしかに多くの困難を伴うけれど
そのかわり、慣習や既成の概念にとらわれすぎることなく
「自分たちにぴったりしたものを作ることができる」という
大きな見返りもまた、得ることになるのだと思います。